下関マグロのぶらぶら散歩

下関マグロがぶらぶら街を歩きます

大正13年創業の「じゅらく」のナポリタン

駒草出版の杉山君と上野の「じゅらく」へ行った。

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じゅらくは、1924年大正13年)に神田須田町で創業した須田町食堂が前身だ。

高見順が1939年(昭和14年)1月から翌年3月まで「文芸」誌に連載した小説『如何なる星の下に』も登場する。引用してみよう。

 

「広養軒といえは、前の聚楽……」
とバーテンは言うのだった。「須田町食堂の発展は大したもんですね」
各所にある「聚楽」という食堂は須田町食堂で経営していることは、私も知っていたが、
「 ── 今度、花屋敷を買うそうですね」
(「如何なる星の下に」(講談社文芸文庫)194~195ページ)

 

今もある「花屋敷」や「聚楽」の名前が出てくる。

 

杉山君が、「こんな昔からやっている店でも『昔なつかしのナポリタン』っていうメニュー名をつけるんですね」と言う。

 いや、以前は「創業大正十三年のナポリタン」というメニュー名で出していたが、きっとそんな時代にナポリタンはないというクレームがあったので、メニュー名を変えたのかもしれない。

 たしかに、ケチャップで炒めるナポリタンは、戦後、進駐軍からもたらされたのだけれど、メニュー名としては、戦前からナポリタンというスパゲティ料理の記録は存在する。たとえば、古川ロッパの1934年(昭和9年)の日記には三越ナポリタンを食べたというのが残っている。もちろんこれが、いまでいうところのナポリタンかどうかは不明だが、可能性がないわけではない。国産のトマトケチャップは横浜の清水屋が1903年明治36年)に製造販売を開始したという記録が残っているからだ。さらに有名なカゴメがトマトケチャップを製造販売を開始したのも1908年(明治41年)と、須田町食堂よりもずっと前のことになる。

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というわけで、ナポリタンが到着。

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炒め系ですが、麺は細め。おいしい。

しかし、こうしてナポリタンをいただけば、何気ない料理だと杉山君と話す。これで、税込み1058円。CP的にはどうだろう。上野の駅前の一等地にあるので、場所代というのも入っているのはわかるが、自分で作ったほうが圧倒的に安くつくというようなことを思った。

 ドリンクセットというのがあったので、それをお願いした。杉山君はナポリタンにはコーラが合うという。あー、たしかに僕も若いころは、そうだったような気がするが、社会人になってからはもっぱらコーヒーだったと思う。それは喫茶店でナポリタンを食べることが多く、コーヒーがおいしかったからだろうか。というわけで、この日も僕はコーヒーをお願いした。

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じゅらく 上野駅前店

東京都台東区上野6-11-11

11:00~23:00

 

 

如何なる星の下に (講談社文芸文庫)

如何なる星の下に (講談社文芸文庫)